Irinaka Story
なかなか春はやって来ない。
夕方4時頃お店を出て、バイト先へ出勤、そのまま終電もしくは朝まで。という日々が続く。いつになったら春物が立ち上がるのやら。
外はとっても寒く、人もまばらでコギちゃんもオレも元気が出ない。
春物の商品が入荷した時くらいが、唯一期待感が持てる瞬間だ。ま、すぐに請求書もやってくるので、それはそれでブルーな気持ちにぶち落ちるんだけどね。
そうそう、このシーズンからレディースも少々入荷するようになった。メンズのくせに女性客が多かったので。。。
実を言うと、バイト代のほとんどはこのレディースの仕入れに飛んでいった。なんつったって新規取引は「キャッシュ・オン・デリバリー」が常識なのさ。
いよいよ、これを書くことになりますね。
コットンウール創業から現在(WEB業務)に至る中で最も辛かった事ですよ。
バイトを始めて2ヶ月ほど経った頃、夕方以降いつも独りで店番をしているコギちゃんも相当ストレスがたまって来たようだった。
オレ自信、夕方から店を空けてしまうので、あれやこれやとコギちゃんに注文をつけていた。
特に、オリジナル商品の作り込みに関しては、オレが直接縫製工場や振り屋、付属屋、生地屋などに指示を出していて、それに関しての問い合わせ対応の事などで、彼にもいろいろと負担をかけたことだろう。
そりゃ、縫製工場に勤めた事がないと分からない事って山ほどあるからね。
「延反したら、ヒートセットがあって、要尺が足りないからどうしましょ?」 とか言われても発注者(またはデザイナー)じゃないと困るよな~。
そういうやり取りの中で、各所対応の遅れが発生してきた。
オレも苛立つし、コギちゃんも苛立つ。
そんなある日、ささいないざこざがあり、たまりかねたコギちゃんが
「もう、店に帰ってきてくださいよ!自分の店なんだから!」
とポロリと口走った。
正直、カチン!と来た。もちろん冷静に考えればどっちもどっちな事なんだけど、オレも所詮ただの人、すでに冷静になる余裕なんてありゃしない。
(オレがバイトやめたら君の給料が払えないんだぞ!わかっとるんか!)
と怒りが込み上げてきたのだ。
さすがにその場は、黙ってやり込めたが、やはり次の日も、次の日も互いの雰囲気は悪い。
頭を抱えた2日間だった。
確かにオレの店である。オレ一人なら薄給でもなんとかやっていける。社会保険も半分で済む。服だってじっくり作れる。ホームページも作れる。休みがなくても構わない。
でもね、彼とも古い付き合いだし、オレのお客さんより彼のお客さんのが多いくらいだし、なんといっても最高にいいヤツなので、なんとか持ちこたえたいし。。。
悩みに悩んだ末、とうとう辞めてもらうことにしたのだ。
どうして「1」がつくのかというと、この1年後オレが逆に親父に言われた台詞なのだ。
ただただ無念な結果だが、タイトルの台詞をコギちゃんにぶつけた。
オレに出来る事は、「1ヶ月分の給料は出すから、その間に就職活動してくれ。」
という事くらいだ。
苦い空気だったです。彼女に別れを告げるより苦い。
たった2人の店で「リストラ」なんて言うのもどうかと思うが、2度と経験したくない出来事だ。
それから約1ヶ月後、コギちゃんがいなくなった。
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名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。