洋服屋の頃

Irinaka Story

Vol.6 "露出"

【露出】

profile 」のページを見てもお分かりのように、お店は沢山の雑誌に紹介されました。
中でも、「POPEYE」に載ったのは感激です。

ある朝、銀行によってから、切ない気持ちでお店に行くと、小木曽(コギちゃん)が
「さっき、ナントカって雑誌、よく聞き取れなかったんですけど電話がありましたよ」
と報告をもらった。
「広告出して!ってヤツだろう、ないない!金ない!」
こちとら、もうピーピーなのだ。

そんなことはすっかり忘れた夕方、ホームページに載せる商品写真を、相も変わらずヒマなお店で一生懸命撮影していた時だ。
電話が鳴る。コギちゃんが出る。
「はい、CottonWoolです。・・・・はい?はい、あ、今替わります。」

おもむろに
『さっきの人です、ポパイがどうのって言ってますけど、あのポパイだったりして』
と受話器を差し出したので、
『だったら、 百億万円 あげるよ!ウヒャハハラハ!』
と出てみると、
「はい、・・え、あ、え?、はぁ、え?え?? え~!!!

あの、ポパイでした。ホームページを見て取材申し込み依頼の内容です。
いや~驚いたね。当時はホームページ出してる店が少なかったからね。

コギちゃんは1週間くらい
「百億万円!百億万円!」 と叫んでおりました。
もちろん、払えるわけないです。ごめんよ。
(だいたい 百億万円っていくらやねん!)

その後も、いろいろな雑誌から取材をうけました。
各雑誌社さま、またホームページに感謝。

【微妙に赤字な日々】

各雑誌への露出も増え、新しいお客さんも増えてきました。
すごく、聴こえがいいですね。
ところが、毎月微妙に赤字なんです。

これが非常に辛いとこです。大赤字ならとっとと店たたんでしまおうと思うのですが、とっても微妙、毎月メーカーへの支払いと家賃などの固定費、借入金の返済、そしてコギちゃんのお給料などを払い終わると、自分の取り分が5万とか10万とか"ない"とか。

結局、借り増しした限りある残高から自分の取り分が毎月目減りしていくわけです。

洋品店では、メーカーへの支払いをジャンプさせることは結構日常茶飯事にあることですが、それだけは避けたかったので、とってもまともに払っておりました。
(店閉めてから、2社ほど「払いすぎっすよ!シャチョー」と言って返金してもらったほどです。店潰したんだから、シャチョー言うな!)

【バイト】

そんな赤字の中、いよいよ2度目の閑散期をむかえることに。
(店出して1年経ったんだな~)

繁忙期で微妙な赤字ということは。。。ヤバイ!ヤバイ!
そろそろ残高も心細くなってきた。

知る人ぞ知っているでしょうが、1月後半~3月中旬の閑散期に(路面点は百貨店より閑散期が長い)、いよいよ出稼ぎに、夕方から夜中までバイトしました。

コギちゃんもいいヤツで、
「ここはケースケさんの店だから、オレがバイト行きますよ!」
と言ってくれたが、いやいや、そういう問題じゃないのだ。

店の主(あるじ)としての意地である。

バイトの面接の時に
「あ、フリーターです!」 って言ってる自分が情けなかったなぁ(笑)

もちろん、当時は他に誰もこの事は知らなかったハズです。カッコ悪くて言えないよ。
そうして、閑散期の飢えをしのぐ事になりました。

つづく



 
 

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洋服屋の頃

名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。

インデックス

当時紹介された雑誌

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