洋服屋の頃

Irinaka Story

Vol.5 "長い日々"

【長い日々】

ひやひやの開店をしたわけで、1時間ドラマくらいのお話なら「めでたしめでたし」となるところだろうが、このお話の本題はいよいよここからだと思う。

店を開けて4日目の 土曜日 。一日の売り上げが Tシャツ1枚3900円
倒れたね。。。
かと思えば、次の日曜日は15万円売れたりと、いいのか悪いのかわからない、そんな日が延々と続く。
もちろん予算のボーダーラインはまだまだ遠く、月売りは大赤字だ。
簡単に「赤字」というが自腹切ってる店主にとっちゃ、マジで死活問題なんだよ。

閑散期ど真ん中の2月オープンというのもあって、ある程度は腹をくくっていたけど、予想をはるかに上回るほど厳しかった。

3月に入ると、「春物の立ち上がり」ということで、オレも小木曽も一層気が張って店に立ったのを覚えている。最初の頃はいろいろ決め事があった。

  1.お店の前のディスプレイは毎日変えること。
   2.お客さんがいなくても、座らないこと。
   3.シャツやトレーナーなどたたみ幅はびっちり揃えること。
   4.お店の窓やドアは全開にしておくこと。

などなど・・・数えだしたらキリがないくらいあったな~。

そうは言っても、客の少ない日々がつづく。一日が長いこと長いこと。。。

【資金繰り2】

石の上にも3年」とか「桃栗3年柿8年」とも言うが、それだけ持ちこたえるのは簡単ではない。

2月のオープンから半年近く経った頃、少しづつ売上が伸びてきていたのだが、それでもだんだん資金繰りが苦しくなってきた。
お店を営んでいる人は、借金の継ぎ足しで今日のしのぎを削っていることがよくある。決していい策ではないが、それでもそこをなんとかもちこたえて、お店を続けない限りそれまでの借金も返すあてが無くなってしまう、下手に商売を止めるとさらに酷い目にあうのだ。

オレも借金の継ぎ足しをすることにした。
最初に借りた国民金融公庫は冷たいもんだったのを覚えている。上手くいってりゃ借り増しなんてしないわけだから、態度が冷たいのもわかるけどね。
これから借り入れをする人は、限度額が許す限りいっぱいいっぱい借りておいた方がいいかもね。

で、国金はあきらめて、市保障をつけることに。。。
名古屋市に保証人になってもらう制度で、市に決算書提出と面接があり、それがOKであれば名古屋市のお墨付きで金融機関から融資が受けられるのだ。

申し込み後の面談では、その年一番の語りで担当者の方に熱演した。その甲斐あって、2週間後、嬉しいことに融資が降りた。
で、いろいろ考えた結果、最初の借り入れ(国金)をその融資額の中から先に一括で払いきってしまうことにしたのだ。2箇所からの借金も嫌だし。
その途端、国金からは 「ぜひ、お金を借りてくださいよ」 などと電話や郵便がやってくる。正に現金なもんだ。ちなみにいまでも郵便が来る。無担保・無保証で貸してくれるなら考えるけどね。

ここでもう一つ、融資がおりると通帳の金額がど~んと上がるから、リッチな気分になりがちだけど 「それは大間違い」 なので、気をつけましょう!!

【販促活動】

損益分岐を下回る日々がつづく。。

暇なお店で一生懸命いろいろ考える。。。

「年間10万円買ってくれるお客さんが300人いればお店は回る!」
とミニマムな考えだが、オレと小木曽は300人を集めることに集中した

チラシ配り、雑誌広告、看板、、、いろいろやった。
チラシは500枚刷って、朝大学の前とかで手配りしたにも関わらず、来てくれた人は一人だったな~。辛かったな~。
その中でこのホームページがスタートすることになったのだ。
当時はHTMLの本など数えるほどしかなかったが、わらにもすがる思いでパソコンにかぶりついていた。

そんな中、だんだんと各雑誌が紹介してくれたり、各サイトが紹介してくれたりと少しずつ露出するようになり、売り上げも緩やかに伸びていった。

つづく



 
 

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洋服屋の頃

名古屋は昭和区に開店した小さなお店が、コットンウールのスタートです。
今ではすっかりWEB屋として認知され、弊社がアパレルだったことを知らない方も多くなりました。
まぁ、「一つの失敗が終わりではない」ってのを体感できたいい機会だったので、ここに残します。

インデックス

当時紹介された雑誌

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